たかの友梨が子供の支援に力を入れる背景にある生い立ちの話

「子どもの支援活動をしている企業」を自分なりに調べるのが好きで、気になったところはブログに書き残すようにしています。元保育士で、今は2人の子ども(小3と年長)を育てながらフリーライターをしている宮田彩香です。

先日、美容業界で知らない人はいないであろう「たかの友梨」さんが、30年以上にわたって児童養護施設の子どもたちを支援し続けていることを知りました。正直なところ、最初は「エステの会社がなぜ児童養護施設?」とピンとこなかったんです。でも、たかの友梨さんご自身の生い立ちを調べていくうちに、その理由がはっきり見えてきました。

この記事では、たかの友梨さんがなぜ子供の支援に力を注いでいるのか、その原点にある壮絶な幼少期の経験と、現在まで続く活動の全体像をまとめています。

たかの友梨さんとはどんな人物か

たかの友梨さん(本名:髙野友梨)は、1948年1月22日に新潟県南魚沼郡湯沢町で生まれました。エステティック業界のパイオニアとして知られる実業家です。

1972年にフランスへ渡りエステティックの技術を学び、帰国後に「たかの友梨ビューティクリニック」を開業。現在は株式会社不二ビューティの代表取締役会長を務めています。たかの友梨ビューティクリニックの会社概要によると、2024年12月時点で全国に70店舗、従業員数は721名。美容業界において長年トップを走り続けてきた方です。

ただ、私がこの記事で注目したいのは、経営者としての顔ではありません。たかの友梨さんがどんな子供時代を過ごし、なぜ児童養護施設の子どもたちへの支援をライフワークにしているのか。そこに焦点を当てていきます。

養子に出され、転々とした幼少期

たかの友梨さんの子供時代は、想像を超えるほど過酷なものでした。

両親の別離と養子の始まり

たかの友梨さんの父親は医師、母親は看護師でしたが、2人は正式な夫婦ではありませんでした。父親には別に家庭があり、子どももいた。つまり不倫関係だったのです。やがて親戚との間でトラブルが起き、両親は別れてしまいます。

2歳年上の実姉とともに父親に引き取られたものの、継母との関係がうまくいかず、姉妹は別々に養子へ出されることになります。最初の養子先では養育費目当てで引き取られたようで、十分な世話や教育は受けられなかったといいます。

3歳で新しい家庭へ、しかし再び崩壊

その状況を見かねた別の夫婦が、3歳のたかの友梨さんを引き取ってくれました。ようやく落ち着いた暮らしが始まるかに思えた矢先、養父が住み込みで働いていた姪と関係を持ち、子どもができたことが発覚。養父母は離別してしまいます。

養母は群馬県に移り住んで再婚しましたが、その再婚相手もまた別の女性と駆け落ち。養母は途方に暮れ、小学2年生のたかの友梨さんは養母の実家に預けられることになりました。

親戚の家で働きながらの子供時代

預けられた先は美容師をしている親戚の家で、11人もの大家族。たかの友梨さんは幼いながらも家事や給仕を担い、働きながら暮らしていました。小学6年生のころにようやく養母と再び同居できるようになりましたが、養母の新しい夫からは邪魔者扱いされたそうです。

保育士として児童養護施設に実習に行ったことがある私は、似たような境遇の子どもたちを何人も見てきました。親元を離れ、環境がころころ変わる不安定さが、子どもの心にどれほどの影を落とすか。それを思うと、たかの友梨さんの幼少期は本当に壮絶だったとしか言いようがありません。

15歳で知った「自分は養子」という事実

たかの友梨さんにとって最大の転機は15歳のときに訪れます。戸籍謄本を取り寄せた際に、ずっと実の親だと思っていた人が養親だったと知ったのです。

ショックのあまり自殺を考え、遺書を書いて近くの川へ入りました。しかし、真冬の川の冷たさが彼女を引き戻します。「今ここで死んでも、何のために生まれてきたのかわからない」。そう思い直し、川から上がったそうです。

そしてこのとき、血のつながりがないにもかかわらず育ててくれた養母への感謝が湧き上がり、「自分の力で生きていこう」と決意したのだと伝えられています。この経験が、後の美容業界での成功、そして子ども支援活動の原点になっていきます。

「鐘の鳴る丘少年の家」との出会い

たかの友梨さんの子ども支援活動の中心にあるのが、群馬県前橋市にある児童養護施設「鐘の鳴る丘少年の家」です。

幼少期に訪れた場所が、人生の支えになった

たかの友梨さんは幼いころ、養母と一緒にこの施設を訪れたことがありました。当時、先の見えない生活の中で心が折れかけていた2人に、施設の園長先生がかけてくれた言葉が大きな励みになったそうです。具体的にどんな言葉だったかは公開されていませんが、たかの友梨さんはその後「鐘の鳴る丘は私の人生の目標」と語っています。

自分自身がつらい子ども時代を過ごしたからこそ、同じように困難な環境にいる子どもたちの気持ちが痛いほどわかる。そして、自分を励ましてくれた場所に恩返しをしたい。その思いが、数十年にわたる支援活動の出発点になりました。

1989年から支援を開始、1995年に後援会長へ

たかの友梨さんと不二ビューティが「鐘の鳴る丘少年の家」への支援を始めたのは1989年のことです。エステティック事業が軌道に乗り、余裕が出てきたタイミングで、まず選んだのが幼少期の恩を返すことだったわけです。

1995年には「鐘の鳴る丘少年の家」および社会福祉法人「鐘の鳴る丘 愛誠会」の後援会長に就任。以来、個人としても会社としても、途切れることなく支援を続けています。

30年以上にわたる子どもたちへの支援の中身

では、具体的にどのような活動を行っているのか。一つひとつ見ていきます。

毎年恒例の季節イベント

たかの友梨さんの支援は、単発の寄付ではなく、子どもたちと継続的に関わることを大切にしています。年間を通じて以下のようなイベントが行われています。

時期イベント内容
5月こどもの日の集い(著名人やボランティアも参加)
夏休み東京ディズニーランドへの招待(1999年から毎年実施)
10月ハロウィンパーティー(お菓子やごちそうを用意)
12月クリスマス会(ケーキ・プレゼントの贈呈)

2023年10月のハロウィンパーティーでは、子どもたちが施設内を自分たちで飾り付け、仮装を楽しみながらごちそうを囲んだそうです。2022年12月のクリスマス会には総勢40名の子どもたちが参加し、ピザやチキン、ケーキとプレゼントを楽しんでいます。

こうした活動の詳細は、不二ビューティの社会貢献活動ページに年ごとの記録として公開されています。

施設への設備寄贈

イベントだけでなく、施設の環境そのものを改善する取り組みも長年にわたって行われています。

  • 2002年:屋内体育館「レインボーホール」を寄贈
  • 2007年:食育のための施設「レインボーハウス」を寄贈
  • 2009年:屋内体育館・遊具「レインボーガーデン」「レインボーフィールド」を寄贈(芝生、幼児遊具、野外ステージホール、バリアフリートイレ完備)
  • 2022年:創立75周年記念事業「RAINBOW GARDEN」の設立に寄付(こども家庭相談センターと歴史記念館を併設)

遊具や体育館は子どもたちの身体の発達にも関わるもので、元保育士としてはこういう「ハード面」の支援がどれほどありがたいかよくわかります。特に2009年に寄贈されたレインボーフィールドは、子どもだけでなく併設のデイサービスを利用する高齢者も使える多世代型の施設で、地域全体を視野に入れた設計になっています。

カンボジアへの学校寄贈

国内だけでなく、海外の子どもたちへの支援にも取り組んでいます。公益財団法人「School Aid Japan」との協力で、カンボジアに4つの学校を建設・寄贈しました。

  • 2008年10月:バッタンバン州の小学校
  • 2011年3月:ポーサット州の中学校
  • 2014年12月:バッタンバン州の中学校
  • その後:プレイベーン州チュラン・トゥトゥン小学校

教育を受ける機会が限られている地域に学校を建てるというのは、子どもたちの未来を直接つくる行為です。自身が幼少期に十分な教育環境を得られなかった経験が、こうした海外支援にもつながっているのかもしれません。

「愛といたわりの精神」が意味すること

たかの友梨ビューティクリニックの企業理念は「愛といたわりの精神」です。美容の会社としてはちょっと意外に聞こえるかもしれませんが、たかの友梨さんの生い立ちを知ると、この理念の重みが変わって見えてきます。

不二ビューティでは、エステティック代金の一部を社会貢献活動に充てているそうです。災害支援も積極的に行っており、東日本大震災の際にはエステティシャンが避難所でボランティアを実施。2018年の西日本豪雨では私財を寄付し、2019年に紺綬褒章を受章しています。能登半島地震(2024年)でも義援金キャンペーンを展開しました。

ここで注目したいのは、たかの友梨さんの社会貢献が「会社の広報戦略」ではなく「個人の信念」から始まっている点です。幼少期に味わった孤独や不安、それでも手を差し伸べてくれた人たちへの感謝。この原体験がなければ、30年以上も同じ施設を支援し続けるのは難しかったはずです。

たかの友梨の子供たちへのボランティア活動について詳しくまとめた記事では、施設への具体的な支援内容や、たかの友梨さんの企業理念と活動の関係が紹介されています。

子どもの支援に必要なのは「続けること」

児童養護施設で暮らす子どもたちにとって、一度きりの支援よりも「毎年来てくれる人がいる」「自分たちを忘れずにいてくれる大人がいる」という事実のほうがずっと大きな意味を持ちます。これは私が保育士時代に実感したことでもあります。

たかの友梨さんの支援活動が特別なのは、その「続けること」を本気で実践している点です。

  • 1989年から途切れることなく支援を継続(35年以上)
  • 毎年複数回のイベントを実施し、子どもたちと直接関わっている
  • 施設のハード面の整備にも継続的に投資している
  • NPO法人地球こどもクラブの副会長としても活動している

企業がCSR活動を始めること自体は珍しくありませんが、これほどの期間、これほどの規模で、しかも経営者本人が深い個人的動機を持って続けているケースはなかなかありません。

まとめ

たかの友梨さんが子どもの支援に力を入れている理由は、華やかな美容業界のイメージからは想像しにくい、壮絶な生い立ちにありました。養子に出され、家庭を転々とし、15歳で真実を知って自ら命を絶とうとした。それでも立ち上がり、自分を支えてくれた場所に恩返しを続けている。

私は2人の子どもを育てながら、「すべての子どもが安心して暮らせる環境」について日々考えています。たかの友梨さんの活動を調べて改めて思ったのは、子どもへの支援に最も大切なのは金額の大きさではなく、関わり続ける意思だということです。

35年以上、同じ場所の子どもたちに寄り添い続けるという行動。その裏にある思いの強さは、一保育士経験者として、素直にすごいと思います。